母の乳がんー主治医からの突然の電話

今は亡き母の事も残しておこうと思う。
長女が4歳、次女が1歳の時に、乳がんの再発で亡くなりました。
乳がんの手術から5年後に肺に転移し、一旦は抗がん剤で回復しましたが
その5年後、肝臓、骨まで転移し亡くなりました。
乳がんを発症してから10年でした。

主治医からの電話

あれは、2010年の8月の終わりでした。
私の携帯に見慣れない電話番号から着信があり
電話に出ると、○○病院の○○といいます。※たぶん、林先生だったと思います。

お母様の主治医を担当しています…
ん?母に何かあった?最初はそんな感じでした。
お母様には黙っておいて欲しいのですが
○○日に話しをしたいので病院まで来て頂けないでしょうか?との事。
突然のことでよく意味が理解出来ていませんでした。
電話を切って、すぐに兄に連絡して、母の主治医から電話があったので
○○日に一緒に病院に行くこととしました。

突然の余命宣告

兄と一緒に病院に行きました。
医者は、お母様は息子さんには連絡はしないでくれと言われていたようですが
どうしても伝えておかないとまずいと感じ約束を破って連絡してきたようです。
「がんが肝臓まで転移していて、長くもって1年です」
「抗がん剤の投与はしますが、効果は期待しないでください」
「この結果次第で、本人に告知するかどうかを考えておいてください」
本人にはまだ伝えていないようです。

乳がんの発症そして治療

母は2000年に乳がんを発症して、乳房を切除しました。
術後に家族だけ呼ばれて、切除した乳房を見ました。
ショックでした。
それから5年して肺に転移、一度は治ったかのように見えて、その5年後の2010年
長くもって1年と言われる状態にまで悪化していました。
長女が小学生になるまでは、なんとか生きていたいというのが口癖でした。
それまであと2年ありました。
そんな母に告知しなくてはいけないなんて酷です。

それから1ヶ月後、抗がん剤投与の結果を聞きに行きました。
医者から説明を受けました。
「腫瘍マーカー(CEA)が800を超えている。」

今年の3月ぐらいまでは、50~70ぐらいだったので、約10倍以上です。
結局、抗がん剤の効果はなかったようで、
以前よりも1.5倍の量で抗がん剤を更に打ったようでした。

年が越せないかも..

「これで効果が無くて、数値が更に上がるようだとお母様は
年を越せないと確率がかなり高いです。

もしかしたら、11月24日の誕生日すら越せないかもしれない」

え?ちょっと。
言葉にならず、固まってしまった。
前回、来た時には、1年持たないと宣告されて、ある程度は覚悟していたけど
その1ケ月後には、年を越せないなんて。そんな誤差ってあっていいのか?
心の整理が付かないと当時はそう感じました。

本人への告知は..

医者と本人に告知するかについて話し合いをし、結局は告知をしない方向で
話しが進みました。
あと2年はなんとかしても生きていたいというのが口癖の母に
年を越せない、いや下手すると2ヶ月持たないかもしれないとは言えない。

この日は兄と一緒に久々に飲みに行って昔話をたくさんしました。

しばらくして家族で実家に泊まりに行ったり
娘と一緒にお風呂に入ってもらったりと
本人には告知をしていなかったので、急にどうしたの?
と何度も言われたのを覚えています。

妻も乳がん?

それから、私も仕事が忙しかったりで
気がついたら12月になっていました。
クリスマスも近づいてきて、クリスマスツリーを出した頃に
突然に妻から乳房にしこりがあるとの発言..
まさか..妻まで?

別の日記に書いていますが、妻も乳がんを発症してしまったのです。
2人の乳がん闘病が重なり、私自身も少し精神的に不安定になっていく時でした。

小説みたいな内容ですが、これは本当の話です。
今思い出すと今まで生きてきた中で一番辛かった時だったと思います。

母に妻が乳がんになってしまったと伝えた時は
ものすごく寂しそうな表情をしたのを今でも覚えてます。

コメントは受け付けていません。