妻の乳がんークリスマスにがん告知

2010年のクリスマスは、家族にとっては今までで一番の悲劇なクリスマスだった。
子供の前では、笑顔を振りまいていたけど夫婦2人になると
言葉は無かった。
これから起ころうとしていることへの恐怖感。
妻は、これから想像もしていない病気との闘い、手術、入院への不安
私は、もし..妻に身に何かあった場合にどうすればいいのか?
考えたくはないけどどうしても考えてしまう。
この日を境に、私は万が一妻に何かあっても子供達を育てあげる
そのために健康であって元気でなくてはいけないと思うようになった。

病院の選択

病院はいろいろと考えたが
家の近くの東京医療センターにすることにした。
ちょうど、この頃に駒沢公園近くの家に引っ越しすることを決めており
1階を事務所として使うことになっていた。
すごい偶然だったけど、これのおかげでだいぶ助かった。
病院までは自転車で5分、しかも長女の幼稚園の途中にあり、入院中も毎日見舞いに来れる。
自宅で仕事をすることで、子供達の面倒も見れる。
結局、妻の母には年明け後、数ヶ月は来てもらうことにはなったんだけど
やはり私が家にいた意味は大きかったと思う。
自分の母は、高齢でしかも乳がん末期で余命宣告までされていたので
何か手伝ってもらえる状況ではなかった。

2人で病院へ

病院には、27日に夫婦2人で行った。
先生から聞いたのは、進行の早いがんの可能性が高いので
早く手術をしましょうってことだった。
入院は、年明けの1月11日、13日に手術となった。
しこりを見つけてから3週間ぐらいの出来事で私は気持ちの整理がまったく出来てなかった。
妻はもっとだったと思う。

これから起きることへの恐怖と不安

この年の年末年始はゆっくりすることも出来ず、帰省もしなかった。
年空け早々に引っ越しも控えていたし、やはりがんの治療が早々に始まるってこともあって
落ち着けなかった。
妻も、夫婦2人でいると、これから始まる治療に対しての恐怖で
泣き出すこともありました。
私も、今まで盲腸とかで何度か入院したことはあったけど、それとは比べものにならない恐怖なんだろうと思う。
この頃は、がん=亡くなる可能性の高い病気っていうことが頭にあって
それがさらに不安にさせていたんだと思う。いや..やっぱし怖い。
年空け早々に義母も泊まりにきてくれて
妻の入院準備を手伝ってくれ、入院前の週末は久々に家族でランチを楽しんできた。
ただ、私は、2日もすると、しばらく妻がいなくなるわけで
2歳の次女、5歳の長女と面倒を見ていけるかな?という不安でいっぱいだった。
子供達もママが入院するってことをよく理解していなかったと思う。
でも、義母がしばらくは泊まってくれて、子供達の面倒を見てくれるとのことで心強かった。
そして入院の日を迎えることになります。

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