2010年8月に母親の主治医から
年越しが出来ない可能性がかなり高いと言わましたが
年明けても入院することもなく、抗がん剤治療の副作用で辛そうでしたが
元気にはしていました。
あっという間に半年過ぎた
私も母親のことは心配でしたが
妻の乳がん手術、抗がん剤治療、子供達の子守やらで
母親の事を考える時間すら無かった。
妻の手術が1月、抗がん剤の治療が2月から始まったりと
あっという間の半年だったような気がする。
ひさびさに実家に顔を出す
妻がゴールデンウィーク中に4クール目の抗がん剤の点滴が始まり
家で静養していたこともあり、2011年のゴールデンウィークは久しぶりに
長女と2人で実家に行った。
いつもなら長女や息子の私のために何か手料理を作ってくれていたが
この時は全て駅前のスーパーの総菜屋で購入してきたようでした。
亡くなってから日記が見つかり、この日のことが書かれていたが
体調はあまり良くなかったようです。ただ、孫がひさびさに来たことが
とてもうれしかったということが書かれていました。
今じゃ、ほとんど絵を描いたりはしない長女ですが
この時は絵を書いて母にあげたらものすごく喜んでいました。
近くの公園へ散歩
また、この日は珍しく、近くの公園まで散歩に行きたいと
母がいい出して3人で散歩に行きました。
この時に写真を撮ったのですが、これが病院の外で過ごした
最後の日になりました。
母が亡くなるまではこういう不思議が事が続きました。
滅多に散歩に行こうなんて言い出さない人でしたから。
母の入院
5月の終わりに母が入院しました。
ゴールデンウィークに実家に行った時に母が
抗がん剤はもう止めたなんて話しをしていました。
もう効き目がなくて苦しいだけだからと。
本人は今回は検査入院だとは話ししていましたが
私はいよいよかなと思っていました。
妻は抗がん剤治療中で家でほどんど寝込む生活でした。
子供達を連れて何度か見舞いに行きました。
今考えても不思議なんですが
急に一人で母の見舞いに行きたくなり
3−4時間ぐらい病室でいろんな話しをしました。
本当にいろんな話しをしました。
この時が母と話しをした最後の日でした。
妻も闘病中で寝込むことが多く、子供達も小さい時でしたから
私も結構無理をしていたんだと思います。
母はすごく心配してくれて、すごく癒やされた時間でした。
今でも忘れないですね。
妻の入院
母と長い時間を過ごたその日は、布団の中でいろんな事を想い出していました。
まもなく母との別れが近づいてきているなとは感じていたので
なかなか寝れない夜でした。
そんな時に妻が起き出してトイレに行ったのはいいのですが
なかなか戻ってこない。
気になってトイレに行くと、なんと妻が泡吹いて倒れてました。
すぐに救急車呼んで、病院に連れていきました。
意識はすぐに取り戻したのですが、抗がん剤の後遺症で血圧も低下していて
そのまま倒れこんでしまったようでした。
次の日は長女の誕生日でしたので妻は帰りたがりましたが
主治医は断固反対し、しばらく安定するまでは入院することになりました。
今思うと、毎日なかなか落ち着けない日が続いてました。
精神的には結構ギリギリでしたね。
この頃は朝早起きして近所の公園をランニングすることが
唯一の息抜き出来る時間でした。
ランニングするとプラス思考になりますからね。
続きはまたゆっくり書きたいと思います。