1月11日に妻が入院しました。
出産の時の入院とは違い、妻は入院の日が近づいてくると
子供達に事がやはり心配でしばらくの間だけど離れることが辛かったみたい。
理解出来ない
幼稚園の年中さんの長女は、ママが入院することも理解出来ていない様子。
ただ、朝、夕の送り迎えはママではなく、パパになったことで
少し変だって思っていたかもしれない。
以前から朝はパパが幼稚園に連れていっていたが
お迎えにはあまり行くことがなかったからだ。
入院前日の晩は仕事も早く終えて、家族一緒に夕飯を食べた。
義母が来てくれていたので食事用意などは妻に変わってやってくれ助かりました。
本来であれば、私の実家が横浜なので一番近いわけだけど
母は余命宣告を受けて、強い抗がん剤の治療をしていて、なかなか体調がすぐれない
時でした。だから無理なお願いはしていませんでした。
入院当日
長女を幼稚園のママ友の家に預け、義母、次女と一緒に病院に行きました。
妻のベットは4人部屋の廊下側
出産の時は個室の部屋だったからちょっと落ち着かないようだった。
同室の方達は妻よりも年齢は上で、年齢的には義母と同じかちょっと下ぐらいな感じでした。
病院は家から近いこともあり、ノートパソコンを持ってきて欲しいとか
あれが欲しいとか妻の要望があって買い物したりして何度か病院に行ったり来たりと
慌ただしい時間が過ぎていきました。
そして、妻がいない初めての夜を迎えました。
長女はパパと、次女は義母と別々の部屋で寝ることになりました。
次女はこの時、パパと離れるのが嫌で大泣きでした。
まだ2歳だもの。ママもいないし、何かしらの変化に気づいたんだと思う。
22時半ぐらいに妻から電話があって、なかなか寝れない様子でした。
病気で初めての入院、そして明後日には手術を控え
緊張感を電話越しに感じました。
手術の説明と治療方針
今日は本人だけに主治医から手術の説明があったようです。
乳がんの範囲が大きいようであれば、部分切除ではなく全切除になるとのこと。
その確認があったようです。
もちろん妻は承諾したようです。女性とっては辛い選択です。
あと、手術後は、放射線と抗がん剤の両方で治療を行うと。
これについては、年齢も若いので完全に駆除しないと怖いのでと説明されたようです。
妻と話しした内容を、子供達を寝かした後に
義母と話しをしました。
抗がん剤治療中は、次女だけは山梨の実家に連れた帰った方がいいのではないかと
言われました。治療中に一番手間のかかる次女の面倒は見れないのではないか?と。
姉妹がバラバラになるのは可哀想だけど妻の負担を考えると仕方ないかな。
まぁ、状況見て考えようってことにはなりました。
これからどうなるんろう..
まさか、1ヶ月前にはこんなことになるとは想像していなかった。
妻が入院、姉妹もバラバラに暮らすかもしれないなんてことはね。
未来に何が起こるかなんて予測出来ないとこの時はすごく感じました。
まして、これから手術、抗がん剤治療が始まるなんて
母のことを知っているだけに、これからどうなるのか?ものすごく不安でした。
考えたくはないけど、もし妻に何かあったら..と考える事が多くなりました。
2010年12月に乳がんが発覚して今に至るまでの出来ごとを不定期で書いております。